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「いい子」の”不都合な真実”を、あなたは知っているでしょうか。
それは、

親の言う通りにしてれば、間違いないよね!



いい子でいれば、きっと褒めてもらえる!



もっと頑張れば、きっと認めてもらえるはず!
…そう思って、親の言う通りに、「いい子」でいればいるほど、
むしろ逆効果になって、”あなた自身の人生”がどんどん潰れていく…
それも、あなたが「素直でいい子」だった場合は、特に。
- 本当は感じていた「おかしい」に蓋をして、
- 無理に「いい子でいなきゃ」「逆らっちゃダメだ」と自分に言い聞かせ、
- 逆にどんどん息苦しく、自分の人生を壊していく…
そしていつしか、自分の人生なのに自分の意見がどこにもない。
何がしたいのかも、何が好きなのかもわからない。
誰かの顔色を読んで合わせるだけの毎日を、ただ繰り返す…
無意識のうちに、そんな未来へ進んでいくんです。



いや、そんな大げさな…
と思いますか?
でも、かつての僕は、完全にこの状態だったんです。
それも、無自覚のままに。
そしてそれは、あなたも例外ではありません。



過去の自分の経験からも、
同じように親の支配から抜け出した当事者を見てきた経験からしても、「いい子」を続けることは、マジで危険です。本当に。
このことを理解していただくために、少しだけ自分の話をさせてください。
※今すぐ脱出までのステップを知りたい方は → 毒親から距離を置くための脱出ロードマップ
うきのプロフィール:「いい子」を演じ続けた日々の話


さて、改めまして、ここまで読んでいただきありがとうございます。
先ほどもお話した通り、今の僕は「毒親脱出の当事者」を名乗っています。
もちろん生まれ落ちた瞬間から自分の親が毒親だと気づいていたわけではありません笑



今は「あの家はおかしかった」とはっきり言えるけど、
昔の僕は、全部”普通“だと思ってた。
僕は親の前ではずっと「いい子」で、言われたことに逆らったことなんか一度もありませんでした。
22歳で実家に戻るまでは、それが「おかしい」なんて微塵も思ってなかったんです。
それがいかにしてあの家から逃げ出すことになったのか。その経緯をお話するには、まずはあの家で何が起きていたかから語らないといけません。
始まりは、小学生にまでさかのぼります。僕の「いい子」は、思い返せば母の機嫌を”察する”ことからでした。
小学生:はじめての「やりたい」をつぶされた話
僕は子どもの頃、足音で母の機嫌を察するような子でした。
廊下を歩くスリッパの音が、いつもより強い日は「今日はダメな日」。
そういう日はリビングで口を開かない。余計なことを言わなきゃ、嵐は過ぎる。
そうやって、家ではいつも自分を引っ込めて生きてたんです。
そんな僕が、小学生のとき、
一度だけ、はっきり「やりたい」と声に出したことがあります。
それは…野球でした。
当時、仲のいい友達たちと近所の公園で野球をやってて、
キャッチボールしたり、ちょっとした試合みたいなことをしたり…
その輪で遊ぶうちに、「あ、野球って面白いな」って、本気で思ったんです。
家でやってたパワプロ君(野球ゲーム)の影響も、たぶんあったと思います。
それで僕、友達と一緒に、地元のスポーツ少年団の見学まで行ったんですよ。
自分から一歩踏み出すなんて、僕にしてはありえないことでした。
で、勇気を出して、母に言いました。「野球、やってみたい」って。
返ってきたのは、これです。
「お金かかるでしょ!!」
「どうせ、あんたは何をやっても続かないでしょ!」
話し合いですらない。
「あなたがそんなの続くわけないじゃない」って、最初から決めてかかってる呆れた顔でした。
もちろん、僕は言い返せませんでした。
ただ、そのとき、頭の中でこう思ったんです。
「ああ、やっぱりな。何を言っても、僕は、何かを始めることなんてできないんだ」
って。
これ以降ですね。「やりたい」を口に出す前に飲み込むクセがついたのは。
言う前に「どうせ無理」が、先に来るようになった。



でもね、当時はこれが「普通」だと思ってたんですよ。
どこの家も、こんなもんだろって。
中学生〜高校生:怒号と沈黙の全盛期
そんな僕も、中学生になると、さすがに苛立ちが口から漏れるようになりました。
幼少期はただ飲み込んでた不満が、思春期になって、抑えきれなくなったんでしょうね。
きっかけは、本当に些細なことです。
その日も母にあれこれ言われて、僕はつい
「うるさいなぁ…」
って返してしまったんですよ。
そしたら、
「親に向かって、なんて口を利くんだ!!!」
って。
まさに毒親のテンプレみたいな怒号が飛んできましたよ笑
んで、その瞬間から、僕に対する無視が始まりました。
朝「おはよう」と言っても返ってこないし、
テーブルに座っても、僕にだけ誰も話しかけてこない。
完全にいないもの扱いです。
一番こたえたのは、ご飯のときでした。
家族みんなでテーブルを囲んで、会話は普通にしているのに、
僕だけがその輪に入れない。
ひとりで黙って、箸を動かしてるんです。
……あのときのご飯の味って、まっったくしなかったんですよね。
口には入れてるのに、ただ飲み込んでるだけ。
家にいる間じゅう、ずっと気が張りっぱなしで…
無視は長いときで1ヶ月くらい続きました。
最初のうちは「何が悪かったんだろう」って必死に考えるんですけど、途中で考えることをやめるんです。
考えても分からないし、こっちから謝るのも違う気がして。
というか、謝ったら負けだと思ってたんですよね笑
だから、自然に終わるのを、ただひたすらに待つ。
当時の僕のルーティーンは、こんな感じです。
何か言い返す→「親に向かってなんて口を利くんだ」→ その日から無視→ 朝の挨拶も、食卓の会話も、全部スルー→ 何が悪かったか考える → わからない→ 謝れないまま、自然に終わるのを待つ→ なんとなく会話が戻る → また言い返す→無限ループ!!!
まっっっじで悲惨なものです。



ちなみに高校のときには、一回だけ家出も企てました。
速攻で連れ戻されましたけどね笑
高校生:親の顔色だけじゃない…色んな「自分」が消えていく
家の中でずっと自分を引っ込めて育つと、どうなると思います?
家の外でも、“自分”が無くなっていくんですよ。
たとえば、友達と「どこ行く?」ってなっても、僕の答えはいつも「どこでもいいよ」。
好きな食べ物がないわけじゃないんですけど、僕から「ここに行きたい」とは言えなくて、
誰かが「そこにしよう」と言えば「うん、そこでいいよ」って合わせちゃう。
自分の意見で何かを決めるのが、とにかく苦手だったんです。
そんな僕に、高校生のとき、ある一言が刺さりました。
友達何人かで、くだらない雑談をしてたときです。たしか4人くらいだったかなぁ。
何の話だったかはもう全然覚えてないんですけど、そのうちの一人が、半分冗談、半分本気みたいな顔でこう言ったんです。
「お前って、中身無いよな笑」
僕はその場では、笑ってごまかしました。
でも、内心は…
図星すぎて、ゾッとしてたんですよ。
「あ、バレてる」って。
だから必死で、何も感じてないフリをした。
たぶんアイツはそんな深い意味で僕に言ったわけじゃないと思います。
でも僕は、この一言を何年経っても忘れられない。
それくらい、当時の僕にとって的を得た発言だったってことなんでしょうね。
ひとことでまとめると、当時の僕はこうでした。
意見がない。感情がない。好きなものもない。やりたいこともなーーんにもない。
中身、スッカラカンです。



というか当時の僕は、
自分が空っぽなことにすら気づいてなかったんですよ。
大学生:色んな逃げ道を探してみたけど、全部ダメ
もちろん、こんな毎日に、何の手も打たなかったわけじゃありません。
僕にとって、人生で一番大きな「逃げ道」。
それが、大学進学でした。
何としてでも1人暮らしをしたかったので、実家からは通えそうで通えない絶妙な距離の大学を選びました。
1人暮らしといっても学生寮で、部屋は四畳半、風呂もトイレもキッチンも共用。
お世辞にも快適とは言えない環境でしたけど、それでも最高に満足だった。
なんせあの四畳半には、母がいなかったんですから。
朝起きて、誰の顔色もうかがわなくていい。
風呂もご飯も、何時にしようが自分の勝手。
たったそれだけのことが、ほんとうに自由で幸せだったんです。
この感覚を、僕は18年間、知らずに生きてきました。
でも、結論から言ってしまうと、
あの4年間は「偽りの自由を知る」だけで終わりました。
だって、長期休暇のたびに、実家へ帰らなきゃいけないんですよ。
帰省して玄関を開けると、もう、あの家のにおいがするんですよ。
それだけで
「ああ、帰ってきたな…」って、
一気に気が重くなる。
せっかく1人暮らしで軽くなってた気持ちが一瞬で元通りです。
そして休みが終われば、また寮に戻る。その繰り返しでした。



もう、打つ手ゼロ……
そして、極めつけが22歳の4月。
地元市役所への就職が決まって、
僕は結局あの家に戻ることになったんです。
職場までは、歩いて20分。
一人暮らしをする理由なんて、どう逆立ちしても見つからない。
玄関を開けた瞬間のことは、今でも忘れられません。
廊下の奥から、あのスリッパの音が聞こえてきた。
……小学生のとき、あれだけ怯えた、あの音です。
聞いた瞬間、ぞわっとしました。あの頃の感覚が、そっくりそのまま戻ってきて。
ああ、自分はもう一生、ここから抜け出せないんじゃないか。
自由を知ったあとの実家は、まるで鳥籠でした……



自由を知ったあとの実家は、ただの実家じゃない。
鳥籠でしたよ、完全に。
うちが“普通”じゃないと気づいたのは、そんな時でした。


実家に戻って、鳥籠に囚われたみたいな毎日に逆戻りして何か月か経ったちょうどその頃です。
僕は、あることに気づきはじめました。



うちって、もしかして普通じゃないんじゃないか…
自由を知った大学時代から、うっすら感じてはいました。
でも、それがはっきりした”確信”に変わったのは、実家に戻ってからです。
きっかけは、当時付き合ってた彼女でした。
彼女と付き合って、彼女の家族と接するうちに、気づいたんですよ。
「普通の家族って、こんなに穏やかなんだ」
って。
怒鳴り声も、いつ終わるかわからない無視もない。
当たり前に、家族同士の会話がある。
それで、僕んちとの違いがだんだん引っかかってきて。
あるとき、彼女に相談してみたんです。
「うちの親ってなんか変なんだよなあ」
って。
そしたら彼女が、こう言いました。
「うきの親って、毒親なんじゃない?」
正直、はじめて聞く言葉でした。
あとで知ったんですけど、その頃には世の中でも少しずつ知られてきていた言葉だったみたいで。
僕は「毒親」という言葉がどうしても気になって調べてみたら、
書いてある特徴が、ひとつ残らず、僕に当てはまったんです。
そこで、はじめて、はっきりわかりました。
僕はずっと、「自分が悪い」と思って生きてきました。
意見が言えないのも、中身がないのも、何をやっても続かないのも、
ぜんぶ、自分の出来が悪いせいだって。
でも、違ったんです。
僕がダメだったんじゃない。あの家が、普通じゃなかったんだ。
正直、ホッとしました。
「なんだ、僕のせいじゃなかったのか」
って。
でも、それと同じくらい、怒りも湧いてきたんですよ。
じゃあ、この20年以上、
僕がずっと飲み込んで我慢してきたのは、いったい何だったんだ
って。
……ただ。
気づいたからといって、次の日から人生が変わるわけじゃありません。
むしろ、逆でしたね。
「おかしい」と気づいてしまったぶん、
あの家で過ごす時間が、前よりずーーーっと苦しくなったんです。
そしてついに、僕はあの家から逃げた


でも、そんな僕がついに動くときがきます。
きっかけは、本当にごくごく些細なことでした。
23歳10月:きっかけは、布団の中の僕のひとりごと
先ほどのエピソードで出てきた彼女とは、大学4年生のときから付き合ってました。
僕が就職で地元に戻ってからは離れて暮らしてたけど、毎週末、彼女のところに会いに行ってました。
そもそも一番最初のきっかけは、大学卒業後、実家に戻ってから約1年半が経過した23歳の10月。
実家の布団の中で、彼女とのLINEを眺めてたときに、
ふと…



僕っていつ結婚できるんだろうな…
って思ったことでした。
……とはいえ、
その場で「そうか、結婚するならあの親に話を通さなきゃな」ってちゃんと向き合えてれば、
もう少しマシだったんですが、現実はそんな風にはなりませんでした笑
正直、そのときは「まだ先の話だろ」って軽く流したんです。
まぁ、布団の中でぼんやり考えたことなんて、次の日にはたいてい忘れてますよね。
じゃあ、なんでその「結婚」をまた考えるようになったのか?っていうと、
ちゃんときっかけがあったんですよ。
それから何ヶ月か経った頃だったと思います。
いつもの週末でした。
彼女のところに行こうとして玄関で靴を履いてたら、
母に「どこ行くの」って聞かれて…
僕が「彼女のところ」って答えたら、
プイっと顔をそむけて、返事もしないんです。
まぁ毎週いつものことなので慣れっこでしたけど笑
その日、なにげなく彼女と将来の話をしてて、ふと頭に浮かんだんです。
結婚するなら、あの母親に、これを通さなきゃいけない。
そう気づいた瞬間、頭にあったのは一つだけでした。



あの親が結婚を認めるわけない…
だって、彼女の名前を出すだけで返事もしない人ですよ!笑
冷静に話し合おうとしたって、口を開いた瞬間に「何言ってんだ」で終わる。
説得とか、わかってもらうとか、そういう次元の話じゃなかったんです。
ただただ、「もうどうしようもないな」っていう焦りだけが残った。
じゃあ、どうするか。
僕は考えて、考えて、考えて…
ぐるぐると何回もループして、最後に出てきた答えが、これでした。



親に黙ってアパートを借りて、実家を出るしかない…!
今思えば、完全に思考停止ですよね。
時間をかけて説得するとか、そういう”まともな手順”が一個も浮かんでこない。
極論しか出てこなかったんです。



何も告げずに家出すれば、
親とはたぶん縁が切れる…
それでも、です。
怖さはありました。高校のとき一度家出して、速攻で連れ戻された記憶もある。
「また連れ戻されるんじゃないか」って。
それでも何日も、うだうだ悩んで悩んで……最後に腹をくくれたのは、こう思えたからでした。
親を取るか、自分を取るか。
だったら、自分の幸せを取るしかないだろ!!
一回だけ、過去にそうやって”自分で決めた”ことがあったんです。
高3で、全否定された大学進学を先生と祖父母を巻き込んで、無理やり通したとき。
あのときの僕は自分の人生のために動けたんだから、今回も絶対に行動できる!!
そう自分に言い聞かせて…。
24歳2月:実家脱出当日の味のしなかった最後の朝ごはん
そうして迎えたのが、24歳の2月。ある土曜日の朝でした。
その日、僕はリュックひとつに必要なものだけ詰めて家を出るつもりでした。
最後の朝ごはんは、いつもと何ひとつ変わりませんでした。
半熟の目玉焼き、白いパックの納豆、豆腐とわかめの味噌汁。
テレビからは、朝のニュースが流れてる。
でも、緊張で何を食べてもまっったく味がしないんです。
そういえば中学生のとき、親に無視されながら食べた夜ごはんも、こんなふうに味がしなかったなぁ。
あのときは孤独で、今日は逃げる緊張で…
理由はまるで違うのに、ご飯の味がしないところだけ、同じでした。
食べ終えて、リュックを背負って、僕は玄関に向かいました。
そして、母にはこう言いました。



彼女と、旅行に行ってくる。
って。
もちろん嘘です。
旅行なら、リュックひとつでも不自然じゃない。
そう考えて、僕があらかじめ用意しておいた嘘でした。
母は、こっちも見ずに、ぶっきらぼうに返しました。
「…行ってらっしゃい…」
……その「行ってらっしゃい」が、なぜか、やけに刺さりました。
嘘をついて逃げる自分が、どうしようもなく、後ろめたくて。
母の言葉を背中に僕は玄関をそそくさと閉めて、
駆け足で駐車場に向かいすぐに車に乗り込む。
そして震える手で車のエンジンをかけ、逃げるようにその場を後にしたんです。
そしたらね、体の力が一気に抜けたんです。
手は震えてるのに、ずっと張り詰めていた肩の力だけがストンと落ちた。
罪悪感も、恐怖も、全部ある。
だけど体が先に「もう楽にしていいんだよ」って言ってくれた気がしてました。



やっと逃げた…
24年間ずっと閉じ込められてた場所からやっと…
そうして僕は、24年間鳥籠のようにずっと閉じ込められてたあの家からついに抜け出したんです。
24歳~:お世辞にも立派な生活とは言えないが自由を手に入れた
ちょっと振り返りますが、
あの家にいた頃は、それはもう常に息が詰まる状態で、
全身重たいマイナスオーラ人間になり果ててました。
- スリッパの音で目が覚める。
毎朝、今日の母の機嫌を探るところから始まる - 「やりたい」が浮かぶ前に、もうあきらめている
自分の意見を言う経験を、あの家でさせてもらえなかった - 笑ってごまかすことが当たり前。
本音を出すとロクなことがないから - 怒鳴られる → 無視 → 自然回復を待つ → また怒鳴られる。
何をしても、このループからは逃れなかった
…それなのに
あの家から離れただけで、日常が劇的に変わりました。
そして、家を脱出してしばらく経った頃、
「本当に楽しそうに笑うようになったよね」
と彼女に言われました。
正直、自分では全然わからなかったんですよ。
だけど周りから見たら、目に見えてわかるくらい変わってたらしいです。
ちなみに、今の僕の日常はマジで平凡です笑
休みの日に好きなだけゲームをやる。
定食屋のおっちゃんが作る甘い肉汁が広がるカツ丼を食べる。
たったそれだけのこと。
でも思い出すんですよね。
24歳で家出をしたあの日の朝食は、味がまっったくしなかった。
- スリッパの音で目が覚めていた朝 → 目覚まし時計で起きる朝
- 味がしなかった朝食 → 定食屋のおっちゃんが作る甘い肉汁が口に広がるカツ丼
- 「やりたい」が消えていた過去の自分 → 好きなだけゲームをやる
- 笑ってごまかすしかなかった過去の自分 → 楽しい時にこそおもいっきり笑える自分
特別なことは、何もしてません。
ただ、あの家から離れただけです。
息が詰まる原因は、僕が「いい子」を演じ続けるストレスだと思っていたんですが、
最大の原因はまさかの「あの家にいること自体」だったことが判明したわけです。
それに、寝つきも寝覚めも全然違う。
長いこと、寝起きは常にドヨンとしてたけど、それが嘘みたいに吹き飛んだ。
仕事終わりに多少ストレスがあっても、「家に帰れば復活する」に変わった。
こうして、「あの家から出た」ただそれだけで、「息苦しいから耐える」だったのが、「自分の意思で生きる」と、生活の根本がガラッと変わりました。
「自分の人生って、自分で決めていいんだ」と、ここではじめて実感しました。
なんといっても、本当に体が軽くなりました。
親の機嫌だの顔色だの、そういう慢性的なプレッシャーって、我慢できなくはないけど、実はすっごいストレスになってるんですよね。
いかに自分が無意識のうちにストレスをためてたか、
今さらですが気づくことができました。
※脱出までの具体的なステップは → 毒親から距離を置くための脱出ロードマップ
逃げて気づいた3つの呪い





親と話し合えば、わかってもらえるんじゃない?



育ててもらった恩があるんだから、我慢するべきでしょ!」
という声が聞こえてきそうですが、もうちょっと続きを聞いてください。
もう一度言いますが、ここに「いい子」を続けることが人生を壊すワナの真相が隠されてるんです。
焦らしても仕方ないので結論を言うと、
・「話し合えばわかる」
・「恩があるんだから」
・「親の言うことは正しい」
という思い込みから、「自分の人生」を見失い、完全に間違った方向で耐え続ける。
僕はこれを3つの「呪い」と呼んでいます。
家を出てもなお、僕を縛り続けた3つの呪いについて、
ひとつずつ、話していきます。
呪い①:「話し合えばわかる」は幻想だった
1つ目は、
「話し合えばわかってもらえる」
さっき、高3で大学進学を無理やり通したって話しましたよね。
あれ、実は…最初から強行突破したわけじゃないんです。
一度はちゃんと親に話そうとしました。
きっかけは、高2の夏。
それまでパッとしなかった成績がそこからぐんぐん伸びて、
気づいたら学年で10番以内に入るようになってたんです。
そうなると、人間ねぇ欲が出てくるんですよ。
「あれ、これ……大学いけるんじゃね?」
って。
だから僕は考えました。
今の成績なら大学進学を狙えること、
大学で何をやりたいかをちゃんと筋道立てて話せば、あの親だってさすがに!わかってくれるはずだ!
ってね。
でも、返ってきた一発目が、これでした。
「うちにはあんたに大学進学させられるお金がないから無理!」
「第一親に向かって何を言ってるんだ。あんたは高校卒業したら就職するんだよ!」
はいしゅうりょう!!
その言葉で終わりですからね笑
成績の話も、将来の話も、
全部聞いてすらもらえませんでした。
そのとき、はっきり悟ったんです。
ああ、この人とは何を言っても話し合いにならない
って。
そして同時に、こうも思いました。
「結局、僕が生まれた家が、悪かったんだ。」
って。
だから僕は、親を通り越し、他者を頼って自力で外堀りを埋めて大学進学をもぎ取るしかなかった。



この家で「話し合い」が成立したことなんて、ただの一度もなかったんです。
対等な相手じゃないと、話し合いって成り立たないんですよ。
こっちが何を言っても「無理」のひと言で終わり。
それはもう、話し合いじゃないですよね。
呪い②:「育ててもらった恩」は鎖だった
2つ目は、
「育ててもらった恩があるだろ」
これが正直一番きつかった。
だってぐうの音も出ないじゃないですか。
事実として、育ててもらったんだから。
これだけだと「親への恩?そりゃあるでしょ!」で終わると思うので、
ちょっと実際の声を見てみましょう。
試しに、知恵袋でもnoteでも何でもいいので
「毒親 恩 家を出たい」と検索してみてください。
先に家を出た結論を言っておくと、
家を出た人のほぼ全員が同じことを言っていることなんですよ。
「家を出た瞬間に、あの”申し訳なさ”が嘘みたいに軽くなった」
って
ところが、家を出る行動を起こすまでが本当に苦しいんです。
同じ声が、驚くほどたくさんでてくるんです。
「育ててもらったのに、家を出るなんて恩知らずですか?」
「ご飯も出してもらった。学費も出してもらった。なのに逃げたいと思う自分が最低な気がする」
「家を出たら『今までかけた金を返せ』と言われました。法的に払う義務はないと知っていても、罪悪感で夜も眠れません」
全員、恩という名の鎖に縛られ動けなくなっている。
じゃあなぜ、同じ境遇の人らがなぜ動けないのか?
理由は簡単です。
親に恩を感じているから。
親に申し訳ないと思っているから。
それらの恩という名の鎖があなたを縛っているんです。
でも、物理的に離れて初めて気づくんです。
あれは「恩」なんかじゃなかった。
あなたを動けなくするための鎖だったんだって。
僕は特別なことをしたわけではありません。
ただ、親から離れただけ。
それだけで、あの罪悪感はふっと消えるんです。
まずはこの状況をあなた自身に置き換えて想像してください。
これ、
親から離れただけで鎖が外れる。
やっと、自分の人生を生き始められる。
ってことですよね。
でも、もしも「親に恩があるから」でずっと耐え続けていたら?
今もずっと家から脱出できずにいたでしょう。
僕も全く同じでした。
でも、その僕の場合「恩」の正体を、ほかでもない親のほうから教えてくれたんです。
家を出て、1〜2ヶ月が経った頃でした。
仕事帰りの夕方6時頃、ポストを開けると、公共料金の請求書に混じって、一通の茶封筒が入ってました。
表には、差出人も何も書いてない。
嫌な予感がしながら、部屋で封を切りました。
中身は、パソコンで打たれたやけに事務的な文章。
そこには、こう書いてあったんです。
「大学の学費と生活費、合わせて約400万を返せ。返さないなら裁判する」
……読み終えて、怒りで手が震えました。
そして思わず、声に出てました。
「いやこれ、僕に請求するもんなの……?」
あれだけ「育ててやった」と恩に着せてきた人がいざ僕が出ていった途端、
その「育てた」という親の義務を、400万円っていう請求書に変えて、僕に送りつけてきたんです。
そのときはっきりわかったんです。



これは「恩」なんかじゃない。
ただの「鎖」だったんだ。
恩は子どもを縛りつけておくための毒親にとって都合に良い鎖なんです。
僕が家を出た瞬間、「愛情」だの「恩」だのは全部消えて、残ったのは「金を返せ」のひと言だけ。
それが、親が出した冷たい答えでした。
呪い③:気づいたら、同じことをしていた
3つ目が、
正直な話…一番言いたくない話です。
さっきの2つは、親が外から僕にかけてくる呪いでした。
でも、これだけは違う。僕自身の中に、もう埋め込まれていた呪いだったんです。
家を出たとき、僕はこう誓ってました。
「あんな親には、絶対にならない」
って。
自分が味わった辛い思いだけは、将来の僕の子どもには絶対にさせない、と。
とはいえ、親から逃げ切ったし、
僕には関係ないくらいの気持ちまで思ってたんですよ。
時が経って、僕は結婚して、子どもが生まれました。
でも……正直に言うと、僕は子どもとの接し方がよくわからなかった。
たとえば、ご飯を食べこぼす。服を汚す。
冷静に考えたら、子どもなんだから当たり前のことですよね。
なのに僕は、その1つ1つに、ただ僕自身が「嫌だ」と感じただけで、子どもを怒ってました。
どう関わってやればいいのか、わからない。だから結局、深くは関われなかったんです。
やがて、その結婚は、離婚で終わりました。
それから、しばらく経ったある日のことです。
ひとりで、ふと、これまでの人生を、走馬灯みたいにぼーーっと思い返していたんです。
そのとき、ひとつの問いが、頭をよぎりました。
「僕、親らしいこと……ひとつでも、できてたんだっけ?」
僕の顔色を、うかがってる子どものあの目を思い出してしまった。
……それ、当時の僕だ。
あの家で、ずっと親の顔色をうかがってた、僕の子どもの頃の目だ。



背筋が、凍りました。逃げたはずだったんです。なのに僕は、あの家を、自分の手で、もう一度作りかけてた。
親から逃げても、親が残した「呪い」はまったく消えなかったんです。
そして「呪い」は、僕の周りじゃなくて、僕の中にもあったんです。
その「呪い」に気づかずにいると、何の罪もない僕の子どもに、そっくりそのまま受け継がれてしまう…。
つまりこれが、世代連鎖です。
親から逃げるだけじゃ、断ち切れない呪いがあるんです。
3つの呪いの恐怖:周りからの声で呪いがさらに加速…
ここまで、3つの呪いの話をしてきました。
- 呪い①:「話し合えば、わかってもらえる」── 期待させて縛りつける呪い
- 呪い②:「育ててもらった恩があるだろう」── 罪悪感で縛りつける呪い
- 呪い③:「あんな親には、絶対にならない」── 逃げても僕の中に残り続けた呪い
理由はバラバラに見えて、3つとも、やってることは同じなんです。
それは、
あなたを、その家から、出さないこと。
そして、いちばん怖いのが、
この呪いをかけられていること自体に、あなた自身ではなかなか気づけない
ということ。
なぜなら、「いい子」であればあるほど、呪いを「愛情」だと思い込んでしまうから
例えば、あなたが親のことを誰かに相談してみたときのことを思い返してみてください。
「子どもが親を捨てるなんて」という罪悪感を突かれると、
必要以上にそれが心に引っかかったことはありませんか?
自分でもわかっているコンプレックスを、他人から指摘されるのが一番つらいように。
「親だって悪気はないんだよ」という善意のアドバイスをもらうと、どこか違う気がしても都合よく受け入れてしまうことは?
「確かに、いつか変わってくれるかも!」みたいに。
「うちの家庭は普通だよ」という自分の常識に、「そうだよね、普通だよね」でスルーしたりしませんか?
実はそこに、あなたの人生を蝕んでいる重大な問題が隠れているかもしれないのに…
そう、周りの善意のアドバイスや社会の常識に触れるたびに、
本当は感じていた「おかしい」を、まず「気のせいかも」と思い、いつしか「うちは普通だ」と信じてしまうんですよ。
それが全く「普通」なんかじゃなく、あなたの人生を壊していたとしても。
そして無意識のうちに、「おかしい」に蓋をする呪いを、さらに加速させてしまうんですよ、これが。
これがどんなにあなたの人生を、幸せから遠ざけることか、想像できますか?
- 本当は感じていた「おかしい」に蓋をして、
- 無理に「いい子でいなきゃ」「逆らっちゃダメだ」と自分に言い聞かせ、
- 逆にどんどん息苦しく、自分の人生を壊していく…
いつしか、
自分の人生なのに自分の意見がどこにもない。何がしたいのかも、何が好きなのかもわからない。
誰かの顔色を読んで合わせるだけの毎日を、ただ繰り返す…
無意識のうちに、そんな未来へ進んでいくんです。



でも、私の親はそこまでではないし…
そう思いますか?
僕も22歳までずっとそう思ってました。
うちが普通の家だって、本気で信じてたんです。
でも、思い出してみてください。冒頭で、僕が言ったことを。
- 「いい子」でいればいるほど、自分の人生が、どんどん潰れていく。
- 自分の人生なのに、自分の意見がどこにもなくて、何がしたいのかも、何が好きかもわからなくて、ただ誰かの顔色を読んで合わせるだけの毎日。
あれね、脅しでも、大げさな話でもないんです。
当時の僕は完全にこうなりかけてました。



「いい子」でいよう、いい子でいようと必死になった結果、
何ひとつ自分のものがなくなって、嘘をついて逃げるところまで追い詰められた…
僕としては、それはそれはもう本当に真剣に「いい子」をやってましたよ。
でも、「いい子でいなきゃ」と思えば思うほど、自分が消えていくんですよ。
そりゃそうですよね、他人の人生を生きてたら、自分の人生が消えるのは当たり前なんです。
10年後、20年後。
気づいたときには、あなたが”子どもの親”になっていて、
そして、何の罪もないあなたの子どもが、今度はあなたの顔色をうかがっている。
呪いって、あなた自身がどこかでこの呪いを断ち切らないかぎり、
何世代でも続いていくんです。



だから僕は、声を大にして言いたい。
逃げていいんです。
「いい子」を演じるのはもうやめていいんです。
それは、親を捨てることじゃない。
あなたの未来と、あなたの未来の家族を、呪いから救うことなんですから。
どうやって僕は「いい子」をやめられたのか
無理に「いい子」を続けるんじゃなくて、距離を取って自分の人生を取り戻すことを考える方が、何倍も楽だし、自分も周りも救われます。
とはいえ、こう思った人もいますよね。



呪いの存在はわかった。
でも、「いい子」からどうやって抜ければいいの?
じゃあ、僕はどうやって「いい子でいなきゃ」をやめられたのか?
きっかけは2つありました。
1つ目は、僕の頭が覚えていた成功体験。
先ほど述べた高3のときに「大学に行きたい」と初めて親に逆らって、自分で調べて、先生を巻き込んで、勝ち取ったあの経験です。
「自分で決めて、自分で動けば、道は開ける」
あのとき僕の頭が覚えていたこの経験が土台にあったんです。
2つ目は、たまたま手に取った1冊の本でした。
岸見一郎・古賀史健の『嫌われる勇気』(ダイヤモンド社)。アドラー心理学の「課題の分離」という考え方に、出会えたんです。
これは正直、運が良かった。
(というか、あの本に出会ってなかったら、今でもあの家にいたと思います)
こうして本の力を借りることで、僕は「いい子でいなきゃ」をやめました。
- 「あなたの問題と、親の問題は別だ」
- 「嫌われることを恐れるな」
を突きつけられて、
「これだ!!!!!」
とめちゃくちゃ腑に落ちた。
たったこれだけのことが、
その後の人生を全てひっくり返す、とてつもなく大きな転機になりました。
※具体的な脱出の進め方は → 毒親から距離を置くための脱出ロードマップ
同じ鳥籠の中にいる人が、すぐそばにいた。


あの家を出ただけで世界が変わった。
緊張で何も噛みしめなかった最後の朝食が嘘みたいに、好きなものを好きな時に食べられる。
笑えなかった顔が、笑えるようになった。
大げさに聞こえるかもしれないけど、
控えめに見ても、あの家にいた頃とは比較にならないほど日常が変わったことは確かです。
だけど…ちょっと周りを見渡せば、
「自分はおかしい」と感じていても、それを言えずに、ずっと耐え続けている
という人が、たくさんいるんです。
実際に僕も、「家族なんだから仲良くしなきゃ」と何度言われたかわかりません。
職場でも、友達にも、親戚にも。
特に今の日本は、「親を大事にするのが正しい」という文化レベルの同調圧力が異様に高く、
「親子なんだから仕方ない」という空気に合わせて、我慢することを強いる風潮があるのも、
無理して「いい子」を続けてしまう一因でしょう。
「親を大事にすることが正しい」
そう言われるたびに、自分がおかしいのかもって思わされるんですよ。



あなたも1回くらいは、友達や親戚、職場の人に
「でも親は親でしょ」と言われた経験があるんじゃないでしょうか?
自分の感覚がおかしいのか、親がおかしいのかもわからなくて、でもどうにもできなくて、ただ毎日を消化しているだけ…
そんな、かつての僕と同じ状況にいるあなたに、どうしても伝えたいことがあるんです。
実は、「同じ鳥籠にいるのは自分だけだ」と思い込んでいたのは、僕も同じでした。
それが変わったのは、本当に些細なことがきっかけでした。
ある日、いとこと、その彼女と一緒にファミレスでご飯を食べてたとき、なんとなく僕の親の話になったんです。
そしたら、いとこの彼女がものすごく意表を突かれたような顔をしていたので、
僕は思わず、
「どうした?」って聞いたら、
「…実は私の親も同じで…」
って。
むしろ、こっちの方が拍子抜けしましたよ。
まさかこんな身近に、同じような境遇の人がいるなんて思ってもいなかったんです。
詳しく聞いてみたら、驚くくらい僕と同じ境遇でした。
親の顔色をうかがって育った。
自分の意見が言えなかった。
親にとっての「いい子」を演じ続けてきた。
僕が20年以上かけて苦しい道をたどったことを、
いとこの彼女も同じような道をとおってきていたんです。
僕に話しているうちに、いとこの彼女はボロボロと泣き出しました。
「ずっと、すごく辛かった」
って。
その涙を見て、僕は、ハッとしたんです。



こんな身近に、同じ鳥籠の中で、
ひとりでずっと苦しい思いをしていた人がいたのか…
そしていとこの彼女も、僕と同じことを言ったんです。
「いとこと付き合って親元から離れたら、気持ちがかなり楽になった」
って。
僕も彼女も、やったことはたった1つだけ。
「あの家から離れた」
それだけです。
彼女が特殊だったわけでも、僕が特別な方法で逃げたわけでもなく、
「あの家から離れる」というのは、それほどまでに強烈
というだけのことです。
いわば、
足でペンを持たされていたのを、利き手に持ち替えたくらいのインパクトがありますからね。
当たり前の結果といえば、当たり前のことです。
そのとき思ったんです。
僕が経験したこと、逃げ方も、失敗したことも、気づいたことも、
全部整理して、同じように苦しんでいる人の役に立てないかって。
逃げた経験は、自分のためだけじゃなくて、同じ鳥籠の中にいる誰かの助けになるかもしれない。
だから僕はこのサイトを作りました。
最終的に腹に決めたのは、あの日、いとこの彼女の涙だったのは言うまでもありません。
あなたの周りにも、同じ鳥籠の中にいる人がいるかもしれない。
いや、もしかしたら、あなた自身がその一人かもしれません。
次はあなたが自分の人生を切り開く番だ!


ここまで読んでくれて、本当にありがとうございます。
正直、この記事を書くのはめちゃくちゃしんどかったです。
家出の緊張で味がしなかった最後の朝ごはんのこと、
玄関を閉めた家出の瞬間のこと、
子どもに親と同じことをしていた恐怖。
全部、できれば思い出したくないことばかりでした。
だけど僕は、かつての僕と同じ場所にいるあなたに届けたかったから書きました。
- 「育ててもらったのに」の罪悪感がふっと軽くなって、自分の幸せを堂々と追いかけられる
- スマホが鳴ったら「あ、友達だ」と笑顔で画面を見られる
- 給料を全部、自分の好きなことに使える。貯金も、旅行も、好きな服も、全部自分で決められる
- 「うちは普通じゃなかったんだ」と気づいたとき、自分の感覚をまっすぐ信じられる
- 一人の部屋の静けさを、心地いいと感じられる
- 「親のことで相談したい」と打ち明けたとき、「つらかったね」と返してくれる人を自分で選べる
- 帰り道を、好きな音楽を聴きながら自分のペースで歩ける
- 「やってみたい」を口に出せる。そばにいる人が「いいじゃん」と応援してくれる
- 将来、子どもの食べこぼしを見て、「大丈夫だよ」と笑って言える自分でいられる
- 「あなたは最近、表情が変わったね」と、自分より先に周りが気づいてくれる
- 「自分の人生を生きている」という感覚が、毎日の当たり前になる
僕が逃げて気づいた3つの呪い
「話し合えばわかる」
「育ててもらった恩」
「世代連鎖は止められない」
この3つをひも解いて、脱出までの全ステップを1本にまとめました。
自分で言うのもなんですが、
ここまで毒親からの脱出に特化して、実際に当事者が歩いた手順をすべてまとめたサイトは、他にはないと断言できる自信があります。
僕はこの道を、自分の行動だけで勝ち取りました。
行動すれば、必ず未来は変わります。



次はあなたが、
あの鳥籠の扉を開けて、自分の足で歩みだす番ですよ。


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